音信不通の思い出
音信不通。
自然消滅。
たった4文字の言葉なのに、経験した人または今その真っ最中の人にしたら、心をえぐるような言葉だと思う。
私も音信不通や、自然消滅を経験するまでは「返事がないのが返事でしょ。察してあげなきゃ」
「しょせんそれだけの関係ってことだよ。執着するだけ損」と思ってた。
でも前の相手に音信不通にされたとき、その苦しみのすごさを知った。
人って悲しいとか苦しいとかたったひとつの負の感情ですら持て余す。
音信不通にされるとそれらがいっぺんに押し寄せ、それに希望がせめぎ合うからやっかいだ。
連絡のこない間、毎日毎日暇さえあればネットで「音信不通」「自然消滅」のワードで検索しまくり、自分と同じような悩みや、恋愛サイトの音信不通対処法を読み漁った。
でもそこに書かれていることは色々で、「時々彼を気遣うメールを送りましょう」だったり「最低半年は沈黙期間を置くべし」だったり「もう別れたつもりで出会いを探しながら待った方が復縁しやすい」だったり。
待つメドも1ヶ月、半年、1年。
中には数年して復縁しました、なんてのもあり、いったいどんなふうにいつまで待てば良いのかもわからなかった。
その彼とはその前にも1ヶ月くらいの音信不通のあとに復活して、その後とても仲良く過ごせていたので、今度もまたそのうち連絡あるだろうとタカをくくってた。
むしろまた来たな、と余裕で音信不通を受け止めてた。
でも数ヶ月連絡が来ない時点でさすがに不安になり焦りだした。
期間をあけて数回メールしたけれど、結局返事は一度もなくそれっきり。
最後に会ったのは彼の好きなバンドのライブに一緒に行ったとき。
次会う約束もしていつものように「またね♪」と彼の部屋を後にした。
どれだけ思い返してもきっかけらしきものはない。
生きてるのか心配になりアパートの様子を確認しに行った。
駐車場には彼の車もあり部屋にも電気が付いている。
「あのドアの向こうにいるんだよな…」
近いのにすっごく遠い。
なんでドアの前に立ちピンポンを押せないんだろう。
少し前までは満面の笑顔でドアを開けてくれた彼のいる部屋がそこにあるのに、近づくことすらできなかった。
建物の影からストーカーみたいにこっそり覗いてる自分が情けなくて、そしてしっかり生きてるのに連絡ひとつくれない彼に失望して泣きながら帰ったのを覚えてる。
それからたっぷり1年引きずって、誕生日や正月にはメールが来るかもと期待してがっかりして、前向きになったり落ち込んだりを繰り返した。
いつの間にか後頭部に大きな円形脱毛ができてて、その毛が生え揃った頃にようやく諦めがついた。
あのときの辛さや苦しさを思い出すと自分が気の毒で今でも泣けてくる。
でも諦めたとはいいながら私は本当の意味で立ち直ってはいなかった。
ただ次の依存先を見つけただけ。
それが今の自然消滅の相手だ。
今思えばあのときどんなに寂しくても1人で立ち直るべきだった。
それが今の苦しさの元凶だ。